平成24年3月10日開催 白線流しのつどい報告 於:國學院大學「院友会館」 ~有斐会報 2013 No.55 掲載~

 東日本大震災から一年が経過した平成24年3月10日、東京・渋谷の國學院大學「院友会館」をお借りして「白線流しのつどい・学年連絡会(講演会)を開催しました。 いまだ順調な復興の槌音もままならないなか、被災から一年後のその時期は被災直後の雰囲気のままで、「つどい」開催の意義をあらためて議論するところからその準備は始まりました。
 東京有斐会の再開から3回目の催しとなった「つどい」、第1部は斐高11回卒の岩崎建弥さん、斐高29回卒の清水由美さんに講師をお願いして講演会を開きました。
 岩崎さんは、【三月十日 そして 三月十一日】を演題にお話されました。『67年前の今日(3月10日)、東京大空襲で約10万人が死にました。全国の都市でも大勢が命を落とし、 その多くは民間人でした。しかし、民間の空襲被害者にはいまだ国の援護がないのです』。岩崎さんは新聞記者だった目線から、民間人の戦争被害への援護を求める運動の歴史をお話しされました。 『そして昨年3月11日の大震災では約2万人が死亡・行方不明、34万人余が避難生活、福島の原発災害では約16万人が故郷を離れました』。家族、友達、そして故郷も消えた。 何をよりどころにして生きていけばよいのか、不安な日々に無責任な風評や差別が追い打ちをかける。そして岩崎さんは次のようにお話しされました。『空襲被害と東日本の災禍は66年の時を 隔てて繋がっている。人として生きる権利、尊厳が脅かされている。私たちがなすべきことは「痛みを共有し、一緒に歩む」こと』だと。講演の副題は「飛騨とともに 母校とともに」でした。
 清水さんの演題は【飛騨人の知らない飛騨方言】でした。飛騨出身の日本語教師として、外から見た「母語」(飛騨弁)を実例を交え面白くお話されました。例えば飛騨弁で「バスが来るでよ!」 「バスが来よるぞ!」「バスが来とるぞ!」。さて、みなさん、バスは今どういう状況(位置)にあると想像しましたか?このように、「来る」という一つの動詞が三つの状況(位置関係や完成度)を 表すのを「三項対立」と言い、西方方言の特徴なのだそうです。標準語では「来る」「来ている」の「二項対立」で、飛騨弁の方がより複雑で、奥行きのある表現が可能であるということでしょうか。 清水さんの、身振り手振りにネイティブの発音を交えたお話に笑いを誘われ、楽しい講演となりました。
 第2部の懇親会は、母校から駆けつけて下さった桐山吾朗先生、大屋進校長先生からご挨拶をいただいた後、学生代表61回卒の長田君の元気な乾杯で始まりました。各テーブルでは飛騨の地酒・ しな漬なども並び、長幼隔てなくすぐに馴染みます。やがて36回卒越山さん、38回卒寺田さんによる、緩急組み合わせた名司会が笑いを誘うなか、テーブルごとの三分間スピーチが始まり、 始終和やかに楽しい時間は過ぎて行きました。そして最後は全員で校歌斉唱。やはり一番盛り上がる瞬間でした。次会は3年に一度のいわゆる全体会「同窓の世代を結ぶ会」です。より多くの同窓生が 集うことを誓い、会はお開きとなりました。
 最後に、今回も役員・スタッフのみなさんには、準備から後片付けまで大変な尽力をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。 (東京有斐会役員会)

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